Naomi ge Kotari 

アッドゥ環礁ヒタドゥ島ホームステイ記(2001年3月)

エピソード編


モルディブ人友人のAさんの奥さんと会話した時の話です。
日本のお金持ちは、何人の女性と結婚するのかという質問を受けました。一人だけと知ると、彼女は「えーっ!?なんでぇ?(Keevve?)」。さらに、日本が一夫一妻制で、重婚が罪になるという私の説明を聞くと、大いに驚いていました。
そして、モルディブでは、夫の両親の介護は、夫の姉が見るそうで、日本では、(一般的には)親の世話は嫁がすると聞くと、またまた驚いてました。


ヒタドゥの家庭では、大抵のうちにはテレビがありました。しかし、衛星テレビしか受信出来ないので、(国内ラジオも滅多な事では、受信出来ませんでした)もっぱらダビングしたビデオテープが繰り返し観られてました。Aさん宅では、ディズニーアニメとヒンディー映画ばかりでした。もちろん字幕なし。英語は、習っているとしても、ヒンディー語は、誰も勉強した事がありません。でも、繰り返し観ているため、小さな子供でも全員、ヒンディー語を理解しているのでした。
同じ要領で、英語の映画がわかるようにならないかしら?(ディべヒ語もねv)


ヒタドゥには、小さな湖(というより池とか水溜り)があって、その付近では、泳いだりバーべキューをしたりしている人がいるのですが、その海岸へ泳ぎに行った時のことです。
Aさんの奥さんが突然、「キャ〜〜〜ッ!!!」と言って、50mくらいダッシュでものすごい速さで逃げ去りました。なんだろうと、彼女の息子と一緒に覗いてみたら、水辺になまこがいました。彼女が怖がっているこのなまこ、日本人は食べるなんて、言えませんでした。
全般に、陸の上にいる虫は、怖がらないけど、海にいるものは、見慣れていないため、気持ち悪がって怖い傾向にあるみたいです。私なんて、なまこより、ゴキブリやねずみ(ヒタドゥではどちらも見かけました)の方が、怖いけど・・・。なまこは、動かないし・・・。


目の前に、海がある環境にも関わらず、あまり熱心に泳ぐことがないようで、10歳の息子も泳ぎは、なんとか浮いてバタバタしている程度で、あまり上手ではありませんでした。奥さんは、プールのように波が全くない海で、足がつく場所なのにも関わらず、キャーキャー怖がって、Aさんにずっとしがみついていました。
奥さんの水着は、ヒタドゥの店先で売っていたのと同じで、ワンピースの水着に、共布のショートパンツ。(1983,4年頃に、日本でも、ビキニやワンピースに共布のショートパンツの水着が流行りましたが、それと同じです)そして、水着の肩紐に黒い生地で、肩が隠れるように、後から半袖の袖が縫い付けてあります。(図参照)


10歳、8歳、6歳、3歳の子供がいたAさん宅。子供のおもちゃが、小学生用のボードゲームしかありませんでした。しかも、それすらあまり使っていない様子。ヒタドゥのおもちゃが売っているお店には、テレビゲーム(NINTENDO64のパクリ商品でした)や人形など一通りのものはあったにも関わらずです。おもちゃがほとんどない状態で、子供達がどのようにして遊ぶのか、非常に興味を持って、観察しました。滞在中は、近所の子供と一緒に遊ぶこともなく、家や庭の中で、兄弟姉妹だけで過ごしていました。
6時に起床して、午前組みの子供は6時半のバスに乗って学校へ行き、午後組みの子供は、未就学児と一緒に、ディズニーのビデオを観たり、ウンドゥーリ(大きなブランコ)でごろごろしたりしてました。(児童数が多いため、学校に全員入り切らず、午前と午後に分かれています)昼頃、午後組みが出掛け、午前組みが帰宅します。午後も同様に、ビデオやウンドォーリです。
夕方には、女性は、下はティーンエイジャーから、上は育児にひと段落の女性までが一緒に、テニスコートでテニスボールを後ろ向きで打ち、それを手で受け取るという事をしていました。男性は、別の広い場所で、サッカーをしています。
Aさん宅では、夕食後の7時から8時の間に、未就学児以外の子供達は、勉強をしていました。(自主的な勉強か宿題かは不明)なぜか毎日、それぞれいつも同じ科目。10歳の子は、英語で書かれた教材の算数。8歳の子は、コーラン読み。6歳(幼稚園)の子は、アラビア語か英語。
3歳の子供は、6時起床で、19−20時就寝。日中のかなりの時間、ウンドォーリでごろごろしながら、いつの間にか昼寝してました。暑いので、何かお腹にかけてあげる必要もないので、そのまま放置です。本当に手がかからず、この点では、親は楽そうでした。暑いからでしょうか、日本の3歳児より、たくさん寝ています。(いいなあ・・・)


食器洗いは、外の水道のそばで、しゃがんで行います。汚れた食器は一度、水の入ったバケツ(小学校の掃除で使う、あのバケツ)の中に全て入れます。バケツの中で、一枚一枚洗剤で擦り、終わったものはバケツの外に積み上げます。全部擦り終えたら、バケツの水を捨てます。また、新しくバケツに水をたっぷり入れて、積み上がっている皿を、一枚一枚ゆすぎます。ゆすぎ終えたら、ダイニングテーブルの脇のワイヤーの棚に、置いて乾かします。食器洗いは、食事一回につき、バケツ2杯の水だけですみます。
この食器洗いのお手伝いをさせてくれと、かなりしつこく食い下がったのですが、難しいからと言って、結局させてもらえませんでした。しかも、そのやり取りの間に、Aさんの奥さんが、すごい発言。
「皿洗ったことあるの?」
おいおい・・・子供の頃から、いやになるほどしてるって。どうも私を、お手伝いさんがいて何も自分で家事をしたことがない、お金持ちの奥様だと思っていたようで。食器洗いどころか、料理も洗濯も掃除も、何もかも自分でしている主婦だと言っても、「本当〜?信じられない〜」って、疑わしい顔されました。(決して、私の外見や服装が金持ちなわけでは、絶対にない。日本人の中でも、結構貧乏そうな見た目)


トイレでトイレットペーパーを使えない事が、私にとっては大問題でした。たとえ、ペーパーを持参しても、リゾートでトイレを詰まらせた事がある私には、モルディブの家庭のトイレに流す勇気はありませんでした。
なので、「左手と水」でしのごうと決心していたのですが、でもどうやって!?
「小」の時に水でさっぱりさせたとしても、そのまま履いては下着がぬれてしまいます。しかも、上手にしないと、下着や服までぬれるおそれが・・・。仕方なく、私は「小」の時は、普通にペーパーを使い、そのペーパーは流さず、ビニール袋に入れて持ち帰りました。(汚い話ですみません)
「大」の時は、そう回数も多くないので、あらかじめ下半身の服を全部脱いで、シャワーで洗ってタオルで拭いて、いちいち脱ぎ着しました。
もっといいアイデアがあったのかも知れませんが、こうして乗り切りました。現地の女性はどうしているのか、恥ずかしくて&語学力がなくて聞けませんでした。


お祈りの時間をどう過ごそうかという事も、事前に悩んでいました。島中にコーランが鳴り響き、老いも若きもみな、一斉にお祈りを始めてしまったら、ひとり何をしていればいいのかと。一緒にいたら、意心地悪そうだし、時間が来そうな時は、部屋にこもろうかしら、などと考えました。
実際は、マーレとは違って、コーランの放送がありませんでした。お祈りも、モスク(ミスキー)で行われていましたし。ちらりと遠目にのぞくと、男性と年配の女性が主でした。
女性は、ハイティーンには結婚して、40過ぎまで出産するので、優に20年間は、小さな子供がいたり、妊娠中だったりするわけなので、外出もままなりません。そんなわけで、その年齢層の女性は、モスクへは行けません。Aさんの奥さんは、ピクニックの食事中に座った状態のまま、一人でコーランを唱えてました。その間、夫や子供たちは普通に話したり食事したりしてました。


イスラム教徒の女性は、家に閉じ込められていて、虐げられているとか、男尊女卑だとか、異教徒の世界からはそう見られていますが、実際はそんな感じは全くしませんでした。文化人類学者がフィールドワークに来た文献を読んでも、大抵は男性なので、長期ホームステイしても女性の生活は謎のベールに包まれています。
でも、外国人女性の特権として、イスラム教徒の女性の中にも入れるし、イスラム教徒の女性が出入りしない食堂とかの男性だけの仲間にも入れます。
実際に、女性と男性の生活の両方を体験してみると、女性は、家の中で悠々と楽しく暮らしているのです。近所にいる親戚と家の敷地内で交流していたり。逆に、男性が外を自由に楽しんでいるようにみえるのも、別の見方をすれば、家の中が女性に仕切られていて、居場所がなくて、外の食堂でのんびりお茶せざるを得ないようにも見えます。
そして、女性が家で幅を利かせ(?)ているのも、外出させてもらえないのではなく、外出出来ないからのようです。
というのも、20年近く妊娠、乳児に母乳を与えている、小さな子供がたくさんいるといういずれかの状態なので、外出は困難なわけです。現在、実際に私は、車もなく小さな子供が3人いる状態なのですが、全員連れての外出はものすごく大変で、行動範囲も狭くなるし、すぐ近所でも買い物にもなかなか行けません。これが、20年続くわけですから、家に閉じ込められているわけではなく、閉じこもるしかないわけです。閉じこもると言っても、たくさんの子供たちや甥や姪やらに囲まれて、井戸端会議ならぬ、ウンドォーリ会議(?)したり、家で幅を利かせて楽しんでいるようです。


戻る